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                                   中里伸也

 

 

 

 

 

痕跡のモルフォロジー

 

中里伸也の新作は、アクリル絵具やスプレーを用いて画面に色と形を塗り込めた「画」である。

「描く」という行為に優っており、生まれ出た「画」は、一見したところ、ニューヨークの抽象表現主義を彷彿とさせる熱気を感じさせる。中里の作品は、例えば、一年前の双ギャラリーでの展覧会「静物と抽象」に見られるように、アトリエの空間をいわばキャンバスとして、自ら描いた絵画の断片や様々な立体物を配置して空間を構成し「画」に向けて描出する手段として写真を用いることで、写真と絵画を往還する独自の世界を切り開いてきた。今回は、重ねられた絵の具により、きっかけに置かれた写真的空間は余すことなく決然として消し去られている。作家のこれまでの創作活動を振り返り、その軌道を照らしてみよう。

 

中里の作品は、私に、絵画を巡るあの奇跡的な光景を想起させる。先史時代に遡る、描かれた画の原初たる洞窟壁画である。1994年のショーヴェ洞窟壁画の発見は、その起源を約32000年に遡らせた。狩猟を業としていた当時の人々の中から出で立った画師は、自然の中で出会った多くの動物たちを洞窟の岩盤に描いた。ショーヴェ洞窟に描かれた動物たちの画は、ラスコーやアルタミラ洞窟壁画と比べより外連味なき闊達な描写を見せ、そのアニマと存在のアウラを清新に伝えてくる。それらの描写の中には、別々の絵が重ねて描かれた箇所も見受けられる。掌に絵の具をつけて岩盤にスタンプした画面も登場する。無数の手の影が多層に重ねられたイメージは、何ものかに駆りたてられたかのようなドライブ感を帯びている。なぜ、重ねたのだろうか? この問いはすぐに解けるものではないが、絵画の歴史の出発点にイメージを重ねるという行為が生じたのは、けして偶然ではなく、絵を描く行為にとって何か本質的なことを孕んでいたのではないかというビジョンがすっと頭をもたげてくる。

 

日本で写真術を習得した中里は、2003年にアメリカン・モダニズムの画家、マックス・ウェーバーなども輩出したニューヨーク・ブルックリンのプラット・インスティテュートに入学し、写真のみでなく絵画など造形芸術の基礎を学んだ。街のそこかしこに描き殴られたグラフィティは、中里を魅惑し、夜中にグラフィティを撮った作品を制作している。「Modern Cave」(2004)と名付けられた初期の写真作品は、現代に蘇った洞窟壁画の在処を示しているようだ。さらに、学校の授業や美術館で出会った絵画の体験は、中里の心奥に霊感を授け、帰国後、2010年代に入り、写真と絵画そしてグラフィックを巡る思索に導かれた制作を進めた。

 

 

自らのアトリエの空間に、様々なモノや自らが紙やガラスに描いたイメージの断片を配置しながら写真でその空間を撮ってイメージとして提示した作品には、写真を画筆に化した抽象的な静物画の趣がある。こうした方法で生まれた作品には、例えば、セザンヌ、モランディ、マレーヴィチ、デ・クーニング、ド・スタールなど何人かの画家の作品が創作の足がかりとして置かれたものもある。それらは、ただし、画家の作品の模写ではなく、他の作家の絵画のイメージに自らのビジョンを重ねながら、元のイメージから超え出ていく。こうした創造の位相は、歴史に跡を見ることができる。例えば、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」(1907)に見られるエル・グレコの「聖ヨハネの幻視」(1609-14年頃)に描かれた裸婦のイメージの痕跡、マネの「オランピア」(1865)に見られるティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538)の痕跡のように。優れたイメージにイメージを重ねて触れる時、いわば弁証法的に火花が走りそこに奪胎の美力が生まれた。

 

 2018    キュレーター/クリティック

深川 雅文 氏